~~~チャレンジ精神と真摯な取り組みで道を拓く~~~
今から23年前、私が42歳の時のことです。
「神事の設営をやってみないか?」
長年の友人である、ある神社の神主さんが私に声をかけてくれました。神事とは地鎮祭や竣工式など神に関する儀式のこと。その儀式を執り行うために必要な設営を仕事としてやってみないか、というのです。今でこそ神事の設営は普通に行われていますが、当時はそのような設営をする専門会社はほとんどなく、神主さんも困っていたのです。しかし当時私はある大手の自動車メーカーのディーラーに勤めており、神事の設営のことなど何一つ知りませんでした。
ところがそのわずか二週間後、私は妻と一緒にその神主さんのところに行き、「やります」と返事をしたのです。夏真っ盛りの8月のことでした。そしてその一か月後の9月末に会社を辞め、その翌月の10月3日にはもう神事の設営の仕事をスタートさせました。
実はその頃ディーラーの支店長をしていましたが、毎月の売り上げ額に一喜一憂する仕事に限界を感じていました。目の前の数字を追うだけの仕事に魅力を感じなくなっていたのです。地位や収入にしがみつく気はなく、チャンスがあれば転職したいと考えていました。ですから設営会社の話をいただいたとき、不安よりも「やりたい」という気持ちのほうが強かったのです。
とはいえ神事の設営に関して知識は何もありません。しかし私は「何も知らないからできない」とは思いませんでした。「知らないけどできる」と思ったということではなく「どうすればできるか」と考えました。やる前から「できない」と自分で自分に制限をかけたらできるはずがない。どんなに無理だと思われる状況でも、どうやればできるのかと考えて自分を信じていけばできるのです。
設営会社設立を決断するまでの二週間、私は何人かの友人や知人に相談しました。するとテント設営会社の社長が「やるなら応援するよ」と言ってくれました。
神主さんは協力する、設営会社の社長は応援する、私自身は営業ができる。できる可能性の道がみえてきました。そして最終的に背中を押してくれたのが妻でした。
妻は「やったらええんとちゃう? きっと定年の年齢になったときに、やってよかったと思うんちゃうかな?」と言ってくれました。今まさにその通りになっています。つまり自分がやろうと思う限り仕事は続けられる。定年は自分で決めることができるのです。あの時思い切って起業して本当に良かったと思っています。
何も知らない状態から始めた新会社。まずは自分が設営の経験をしよう、これはもうやるしかないと思い大好きなゴルフも辞め、妻と二人で仕事に没頭しました。日の出と共に起き夜中の2時頃まで働き続けることもありました。
しかし苦しくても、神主さんやテント設営会社の社長の気持ちに応えるため、そして支店長でありながら辞めた前会社の同僚や部下たちが自分のことをどうしているだろうかと思っているに違いないと思うと、腹の底から「負けるもんか!」という熱い思いが込み上げ、闘志を原動力に一生懸命全力で働き続けました。
神事の設営は、それをなぜやるのか? どうやるのか? ひとつひとつ神主さんに意味ややり方を教えていただきました。そうやって知識と経験を積み重ね、次第に正しい設営ができるようになってくると「これはなかなか良い設営だ」と多くの神主さんから評価され信頼されるようになっていきました。
当時から今に至るまで、地鎮祭などのレベルが数段良くなったのは弊社の努力によるものだと自負しています。
設営にはひとつひとつに歴史と意味があります。何のためにやるのか意味も分からず適当にやるのと、意味を理解して正しく設営するのとではその場の雰囲気がまったく違ってきます。
たとえば式典に参加する列席者の並び順や神事の時の拍手の仕方など正式な意味ややり方があることをご存じでしょうか。それを知らないと適当に並び、適当な拍手をして恥ずかしい思いを-することになります。そうするとその場の雰囲気も一気に締まりのないものになり、本来の目的ではない形だけの式典や神事になってしまいます。そんなことならむしろやらない方がいい。
大切で大事な場を作り出す設営会社として、歴史のある本物をきちんと後世に繋いでいきたい。一生に一度、節目に行うイベントであればなおさら記憶に残るものにしたい。我が社にはそれができる豊富な知識と経験、ノウハウがあります。だからこそ適当に済ますような中途半端な仕事はしないし、できません。大儀を持ったより本物志向こそが目的に合ったイベント設営だと思っております。
では、我が社はこれまでどのような設営をしてきたのか。どのような経験を積み重ねてきたのか、これから少しずつお話ししていきましょう。
平成29年11月 藤原 宣雄